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「つつこ引き祭り」

印刷ページ表示 更新日:2012年7月5日更新

つつこ引き祭り (保原地域・市指定無形民俗文化財)

つつこ引き祭り1の写真 つつこ引き祭り2の写真

 奇祭として知られている保原地域の「つつこ引き祭り」は、身を清めた下帯姿の若衆が三組に分かれて大つつこを引き合う勇壮な祭りで、江戸時代から中村地区で旧暦の1月25日に行われてきた。
中村は当時独立した村で、毎月25日に通り町で市が開かれてきた。1月25日は一年の初めての市なので、市を開く場所を決めるために「つつこ引き」が行われたのである。保原は真綿や生糸の生産と出荷の中心地だったので、村人たちは大いに商売繁盛を願ったことであろう。
 実は保原には通り町が6町あり、それぞれの通り町で毎月決まった日に市が開かれていた。市柳町では20日に、十日町では10日に定期市が開かれていた。そして一年の最初の市日に、市祭りが実施され、現在と同様な「つつこ引き祭り」が行われていたことが、最近の調査で明らかになった。豪商が多かった中村を除いて他の通り町では明治初期に市祭りが廃れてしまった。
 中村のつつこ引き祭りは、最近では3月の第一日曜日に実施されている。祭りが行われる厳島神社境内や4丁目交差点付近には黒山の人だかりで賑う。
 この祭りにはもうひとつ由来がある。享保年間(1716~1735)の凶作のとき、種籾を差し出して領民を救ってくれた領主、梁川藩主松平主計頭通春公(後の尾張藩主徳川宗春)に感謝して始められ、五穀豊穣を願う祭りであるとも伝えられている。後に兄継友の死によって尾張藩主となった宗春は、8代将軍徳川吉宗が質素倹約を掲げて進めた「享保の改革」に対して、反対の立場となる開放経済策を採った。これにより名古屋は繁栄したが、宗春は将軍から幽閉を命ぜられ、死後も墓碑に金網をかぶせられていた。
 なお、少し離れた上保原地区には「三日市」という地名がある。これは上保原と保原が一村だったころの、江戸時代よりもっと古い時代の市日の名残りであろう。ここでは今でも水口家の人たちによってささやかに祭りが継続されており、「市神社」と書かれた江戸時代の大反旗が大切に保存されている。

参考文献:「伊達郡の歴史」(郷土出版社刊)

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