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保原町上保原地区には、難しい漢字の字名が20ほど残されています。これらの地は一般に『高子二十境』と呼ばれています。
四季折々、様々な表情を見せる『高子二十境』をぜひお楽しみください。
『高子二十境』は、江戸時代中ごろの高子村の文人、熊阪覇陵(はりょう)が、高子村を中心に景勝地を選び、漢詩を読んで楽しんだことに始まるといわれており、高子二十境の名称を中国の当時の都『長安』の東にあった『網川二十境(もうかわにじゅっきょう)』にならって名づけたと考えられています。
覇陵の死後、その子である台州は、父の追慕集として『永慕編』を編纂、出版しました。『永慕編』は、熊阪家の由緒、覇陵の業績、二十境の位置・漢詩・図などから成り、高子二十境の名が全国に広まることとなりました。
明治時代になると、高子と上保原の字名に『高子二十境』の名称を公的に使用することになります。このとき、二十境の地名のいくつかが本来の場所と違う場所に当てられた疑いがあり、研修者の間で『永慕編』の記述との矛盾が指摘されました。
阿武隈急行高子駅を北に向けて出発し、『丹露盤(たんろばん)』や『玉兎巌(ぎょくとがん)』をまわります。高子沼には、1週約1.6キロメートルの遊歩道が整備されています。
伊達家の始祖『朝宗』の居城跡といわれる高子ヶ岡・亀岡八幡宮。その奥にある『丹露盤』は、地域を一望できる眺めのよい場所です。
阿武隈急行高子駅を南に向けて出発し、高子沼の東側『拾翠崖(じゅうすいがい)』や『愚公谷(ぐこうこく)』などを廻る、比較的起伏に富んだコースです。
阿武隈急行高子駅を東に出発し、『古樵丘(こしょうきゅう)』や『白雲洞(はくうんどう)』を廻るコースです。白雲洞にある小さな丘、通称『岩谷山』は、岩穴に薬師如来がまつられており、霊窟として知られています。
所要時間 約20分
所要時間 約10分
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