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美しい紅葉で知られる霊山。透き通った紅色が、切り立った凝灰角礫岩の黒褐色のごつごつした岩肌によく映えて、ただただ見とれてしまう。仙人が住むような世界を感じさせる。標高825m。この低い山でどんな高所の山の紅葉にも負けない。日本一と言っても過言ではない。新緑の季節も同様である。秀峰という名に相応しい。
山上にはかつて慈覚大師が開山したという霊山寺があった。「霊山寺縁起」によれば、三千六百坊を擁していたともいうから、大伽藍であった。南奥州の天台密教の中心であったと考えられる。今は山上の処々に大きな礎石が多数残り、当時の名残りを留めている。後醍醐天皇の皇子義良親王(陸奥国大守、後の後村上天皇)、北畠顕家(鎮守府将軍)らは建武4年(1337)1月8日国府多賀城を棄て霊山寺(霊山城)に移った。霊山城は南朝奥州政府の重要な基地(国府)となった。しかし霊山城は貞和3年(1347)8月ころに落城、霊山寺の建物群も全焼したといわれる。
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