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松前藩と梁川(地域の魅力 ふるさと再発見)

印刷ページ表示 更新日:2024年12月1日更新

 「地域の魅力 ふる里再発見 松前藩と梁川」は、令和6年度伊達市保原歴史文化資料館第2回企画展「姉妹都市協定締結40周年企画展 松前藩と梁川」から、だて市政だより2024年(令和6年)10月号から2024年(令和6年)12月号に掲載されました。

「〜歴史的な絆を、ゆかりの古文書類から読み解く〜」 だて市政だより2024.10月号

梁川天神社境内 「石灯籠」

梁川天神社境内「石灯籠」

 伊達市(旧梁川町)と北海道松前町は姉妹都市になって40周年を迎えます。

 松前藩と梁川の関わりは二度あります。最初は文化4年(1807)~文政4年(1821)、松前藩国替えの時代です。

 18世紀後半、帝政ロシアの南下政策が活発になります。そのため、19世紀初頭には、幕府の蝦夷地防衛策が強化され、文化4年(1807)、蝦夷地全域が幕府領となりました。広大な蝦夷地を松前藩だけで統治することは困難だったのです。松前藩は幕府から伊達郡( 梁川村など、6 村)、上野国(こうずけ)(群馬県)・常陸国(ひたちのくに)(茨城県)に1万8千石余を与えられ、梁川に政庁を置きました。国替え生活はロシアの南下政策が後退するまで、14年間にもおよびました。家老蠣崎波響(かきざきはきょう)は松前復領に感謝して、梁川天神社境内に石灯籠(伊達市指定文化財)を奉納しています。

 二度目は安政2年(1855)~明治4年(1871)松前藩分領の時代です。

 安政元年(1854)、幕府はペリーと日米和親条約を締結し、下田・箱館が開港になりました。同2 年、幕府は高まる外圧に備えて、松前氏の居城周辺を除き、蝦夷地を再び直轄支配地にしました。替地は伊達郡・出羽国村山郡東根(山形県東根市)の村々3万石余でした。明治2年(1869)、松前藩は館藩(たてはん)に改称。6村は館藩分領となりました。同4年(1871)、廃藩置県により館藩は館県となり、その後、分領は弘前県、青森県、福島県(中通り)、二本松県に引き継がれ、同9年(1876)、現行の福島県に統合されました。

 

「伝えられた蝦夷錦(えぞにしき)」 だて市政だより2024.11月号

松前家寄進 蝦夷錦打敷

松前家寄進 蝦夷錦打敷

 

 松前藩とアイヌの人びととの交易品に、蝦夷錦(えぞにしき)があります。紺色・赤色・緑色の緞子(どんす) 仕立ての上質な絹織物に、金糸・銀糸などで、雲龍(うんりゅう)(雲に乗って昇天する龍)や牡丹の文様を織り出したものです。本来は、中国清朝高官が着用した官服です。満州・間宮海峡・樺太を経て、蝦夷地に渡り、日本にもたらされ、遠方から渡来した官服は蝦夷錦と呼ばれるようになりました。高級品の蝦夷錦は、陣羽織・袈裟・座布団などに、転用されました。松前藩は江戸幕府にも献上したとも伝えられています。アイヌとの交易品には、鮭・昆布・毛皮・鷲の羽などがありますが、最も珍重されたのは、蝦夷錦でした。

梁川の興国寺は曹洞宗の古刹(こさつ)です。同寺は寺宝として、「松前家寄進蝦夷錦打敷」一枚を保管しています。打敷(うちしき)(装飾用に敷く布地)に転用されているため、官服の面影はありませんが、赤色の絹織物に、雲龍文様が織り込まれています。この文様から、蝦夷錦の背面であることが解ります。頭部の角二本、鱗で覆われた背中、くねらせた胴体など、卓越した技巧の、絢爛豪華な蝦夷錦です。

文化4年(1807)、松前藩は梁川に国替えになります。同9年(1812)藩主章広(あきひろ)の息女、露姫(つゆひめ)が死去し、同寺境内に埋葬されました。寺宝の蝦夷錦は、仏前供養として奉納された露姫の遺品と伝えられています(『梁川町史』10)。昭和60年(1985)に梁川町指定文化財となり、現在は伊達市指定文化財になっています。「松前家寄進蝦夷錦打敷」は、伊達市と松前町をつなぐ重要な文化財です。

 

「館藩の蚕種売買許可証」 だて市政だより2024.12月号

 明治2年(1869)6月、松前藩主松前脩広(ながひろ)は領地と領民を返上しました( 版籍奉還)。これ以降、松前藩は館藩と呼ばれるようになります。明治3年9月の山形県設置により、館藩領の村山郡東根は山形県に編入されました。替地は伊達郡内34カ村、三万石余です。伏黒村もその一村でした。

 当館の松岡家文書は伊達郡伏黒村の名主を勤めた家の古文書です。同文書には、館藩が発行した蚕種売買許可証が残されています。

 蚕種売買許可証の表には、朱印「員数改印」と黒印「蚕種売買免許之印」が押印されています。さらに、「本郡三枚」「海外輸出」と墨書されています。裏の朱印は館藩の藩庁印「館藩」です。墨書は「辛未(かのとひつじ)八月四日」、「製造人岩代国伊達郡伏黒村彦右衛門」とあります。干 支の「辛未」は明治4年です。以上から、明治4年8月4日、館藩は伏黒村の蚕種製造人彦右衛門に蚕種紙三枚の海外輸出を許可したことが判ります。

 伊達市一帯は、江戸時代から蚕種(蚕の卵)製造が盛んな地域でした。安政6年(1859)6月の横浜開港以降、伊達郡の蚕種紙(蚕の卵を産み付けた厚手の和紙)は、海外市場へ大量に輸出されました。幕末から明治初年にかけて、蚕の伝染病が蔓延し、ヨーロッパの養蚕業は壊滅的状態にあったからです。梁川の田口半三郎は明治4年(1871)9月、蚕種の販路開拓のため、フランスへ向けて横浜港を出航し、翌年3月に帰国しています。半三郎には、その後も、フランスから蚕種取引の要請がありました(『梁川町史』3)。

 このような時代背景のもとで、伏黒村の彦右衛門をはじめとする伊達郡の蚕種製造人の蚕種紙は、横浜港から輸出されたと考えられています。

 

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