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伊達のお蚕用具展(地域の魅力 ふるさと再発見)

印刷ページ表示 更新日:2024年9月1日更新

 「地域の魅力 ふる里再発見 伊達のお蚕用具展」は、令和6年度伊達市保原歴史文化資料館第1回企画展「伊達のお蚕用具展」から、だて市政だより2024年(令和6年)6月号から2024年(令和6年)9月号に掲載されました。

「伊達地方と桑」 だて市政だより2024.6月号

桑の葉

桑品種「柳田」福島県農業総合センター2016.6 撮影

 桑は蚕のエサとなります。かつて養蚕地帯だった伊達地方では、いたるところに桑畑がありました。現在でも田畑の境の目印に桑が残されていることが多く、かつての桑畑の名残を見ることができます。伊達地方は昔から養蚕だけでなく優良な桑が育つ産地としても有名でした。明治時代に県の御用達だった保原町の渡辺源兵衛(わたなべげんべえ)家の文書には、青森県や広島県など全国に桑苗の販売をしていたことがわかる仕切書(帳簿)があります。

 伊達地方で良い桑が育つ理由として、地域の中心を大きな川が流れる地形にあります。阿武隈川を主として、川が栄養豊富な土壌を運び、桑の栽培に適した土地となっているのです。

  桑苗栽培が特に盛んだった地域に梁川町向川原地区があげられ、昭和2年の年間生産高は128万本にも上りました。伊達市には、向川原地区で使用していた表皮を剥ぐ皮むき器や規格を図る桑苗定木などの桑栽培用具が残されています。これらを含む伊達市の蚕糸業関連用具1344点は、国重要有形民俗文化財の指定を受けています。

 また、伊達地方が発祥の桑品種も数多く存在します。最古の桑品種といわれる「柳田(やなぎだ)」をはじめとして、「小幡(おばた)」・「市兵衛(いちべえ)(または市平)」・「六之丞(ろくのじょう)」・「高助(たかすけ)」など、いずれも江戸期に伊達地方で栽培が始まり、全国に広まりました。

  皆さまも町に残る桑を探してかつての「お蚕どころ」に思いを馳は せてみてはいかがでしょうか?

 

『蚕種銘鑑』と伊達の蚕種屋さん だて市政だより2024.7月号

蚕種売買之図

「奥州本場蚕種売買之図」

 中井閑民(なかいかんみん) は文化十年(1813)梁川に生まれました。江戸時代末期の伊達郡には、蚕種(蚕の卵)を製造販売する蚕種屋が数多く存在していました。閑民は万延元年( 1860) に『蚕種銘鑑(たねめいかん)』を発刊し、郡内の優良蚕種銘柄と蚕種屋を紹介しています。

  閑民は同書発刊の目的を、序文で、次のように述べています。

 『伊達郡は蚕糸業に最適な土地柄であり、昔から優良蚕種を製造してきた。遠方の諸国から多数の蚕種買付け商人が来訪している。「悪種」(粗悪蚕種)を製造販売する蚕種屋の存在は、長年の憂いになっていた。そこで、「善種」(優良蚕種)の銘柄を掲載した、世間の人々が必要とする蚕種屋の名簿を発刊することにした。』

 その序文によれば、同書は蚕種屋と来訪する蚕種買付け商人のために、発刊されたことが分かります。

 梁川村では、石井仙蔵(いしいせんぞう)・関東屋清左衛門(かんとうやせいざえもん)・大竹惣兵衛(おおたけそうべい)・中村屋佐平治(なかむらさへいじ)など51家が「善種」銘柄とともに掲載されています。伏黒村では、佐藤与惣左衛門(さとうよそうざえもん)・佐藤孫左衛門(さとうまござえもん)・小野五兵衛(おのごへい)・宍戸藤作(ししどとうさく)など27家です。

 口絵には、蚕種屋の居間が描かれています。蚕種紙(蚕種を産み付けた厚手の和紙)を挟んで、主人と蚕種買付け商人が商談中です。主人の背後には蚕種紙を釣るして置く蚕種紙掛けがあります。

 安政六年(1859)横浜が開港し、大量の蚕種・生糸が欧米に輸出されました。慶応三年(1867)閑民は蚕種輸出のために、滞在していた横浜で逝去しました。

 

「夜風退散~蚕の天敵~」 だて市政だより2024.8月号

御札

養蚕農家が所有していた御札

 伊達地方一帯はかつて蚕糸業が盛んな全国屈指の「蚕都(さんと) 」として有名で、多くの人々が養蚕業に従事していました。特に伊達地方で製造された蚕種(さんしゅ)(蚕の卵)は、質のいい繭が出来ると全国的にも評判でした。しかし、どれだけ蚕が丈夫に成長しても、すべてを台無しにしてしまう生き物がいました。それは夜な夜な現れては蚕を食べてしまう鼠です。蚕を食べられてしまっては大切な収入を失うことになり、鼠は頭を悩ませる存在でした。鼠の防除方法が確立できていなかった時代、猫を飼う対策のほかに、鼠の天敵となる生き物を描いた絵馬を寺や神社に奉納したり、鼠退散の御札を蚕室に飾ったりするなど、被害にあわないための願掛けを行っていました。

 写真は伊達市梁川町の養蚕農家が所有していた御札で、「夜風退散」の文字が見えます。鼠を文字や言葉に表すことを忌み嫌い、「夜風」と表現しました。

 その他にも養蚕農家は蚕室清浄や養蚕成就を願う御札を飾りました。特に養蚕成就祈願の御札はかかせず、毎年養蚕の仕事を始める前に、神棚または蚕室に飾り、毎朝ご飯を供えました。蚕を育てる部屋である蚕室は、常に清潔で清浄な状態を保つように心掛けていた大切な場所でした。

  重要有形民俗文化財指定「伊達の蚕種製造および養蚕・製糸関連用具」には、養蚕無事を願う御札も含まれ、内3点を現在開催中の企画展に展示しています。

 

現代に残る江戸時代の繭」 だて市政だより2024.9月号

繭見本 佐藤與惣左衛門家

「繭見本 佐藤與惣左衛門家」重要有形民俗文化財 伊達市蔵

 かつて伊達地方周辺は、優良な蚕種 蚕の卵)を製造する地域として有名で、安永2(1773)年には、幕府より全国で唯一「蚕種本場」の称号を許されました。蚕種製造業を営む蚕種屋さんは、毎年その年の出来の良い繭をサンプルとして残し、「繭見本」にしていました。伊達市には、梁川町の蚕種屋中村佐平治家の寛政4(1792)年から昭和55 (1980)年までの百年以上にわたる繭見本や、伏黒の蚕種屋佐藤與惣左衛門家の江戸時代の繭見本が残されており、いずれも国の重要有形民俗文化財指定となっています。

 このうち佐藤與惣左衛門家の繭見本は、明治時代に共進会(きょうしんかい)(品評会)へ出品するために、古くは宝暦2(1752)年より安政5(1858)年の繭を、その時代の養蚕や繭の市場、天気、相場などの記述を添えて3つに分けて額装したものです。なかでも宝暦2年の繭は、日本に現存する最古の部類に入るといわれています。福島蚕業学校(現・福島明成高校)の初代校長で、蚕の遺伝学でも有名な外山亀太郎(とやまかめたろう)氏は、当時この繭を見て、「全国一の古い繭」と賞賛しました。

 また、それぞれの繭に添えられた墨書も資料的価値の高い内容となっています。安永3(1774)年の繭には、蚕種本場として課せられた運上(うんじょう)(税)の記述がみられます。

 この繭見本は、伊達市保原歴史文化資料館にて開催中の企画展「伊達のお蚕用具展」にて展示しています。

 

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