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市の概要・沿革・歴史

印刷ページ表示 更新日:2019年1月1日更新

伊達市の概要伊達市の沿革伊達市の歴史

伊達市の概要

 伊達市は福島県の北部に位置し、県都福島市の北東に隣接しています。東に阿武隈山系の霊山、西には吾妻連峰、北方には宮城県境の山々が遠望できる福島盆地の中にあります。
 市役所本庁舎のある保原は海抜約50メートルの所に位置し、市の西部を阿武隈川が流れ、市の中心部周辺は平坦地となっており砂質壤土で耕地に適しています。市の南部及び東部には南北に500メートルから800メートル程の阿武隈高地が連なっています。
 伊達市の交通体系は市の西部を国道4号とJR東北本線が南北に走っています。また、市の南部を国道115号が東西方向に、市の中心部を国道349号、国道399号が走っています。福島市と宮城県柴田町を結ぶ阿武隈急行の鉄道が、市の中心部を南西から北東方向に走っています。
 また、本市の土地利用は、全体の面積265.1平方キロメートルの内、森林が101.782平方キロメートルで38.4パーセントを占め一番広く、次に農地の70.607平方キロメートルで26.6パーセントとなっており、伊達市全体の65パーセントを森林と農地で占めています。

伊達市の位置

伊達市の沿革

 平成18年1月1日に伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町の5町が新設合併して発足しました。
 平成の大合併以前は、1889(明治22)年の「町村制」実施による合併、1953(昭和28)年の「町村合併促進法」の公布施行による合併が行われてきました。

旧伊達町は昭和31年9月に伊達町と伏黒村の1町1村が合併。
旧梁川町は昭和30年3月に梁川町、粟野村、五十沢村、富野村、山舟生村、白根村、堰本村の1町6村が合併。
旧保原町は昭和30年3月に保原町、大田村、上保原村、柱沢村、富成村の1町4村が合併。
旧霊山町は昭和30年1月に掛田町、石戸村、霊山村、小国村の1町3村が合併。
旧月舘町は昭和30年3月に月舘町と小手村の1町1村が合併。

伊達市の歴史

 伊達市に人々が住むようになったのは、旧石器時代といわれています。奈良・平安時代には、東山道に駅家が設置され郡家が置かれました。また、平安時代末期の1189(文治5)年には、源頼朝の奥州攻めに従った常陸国の中村常陸入道念西(後の伊達氏初代朝宗)がその戦功により信夫郡・伊達郡を賜り、地頭に任ぜられ、この地方を支配することとなりました。

 南北朝時代の1337(延元2)年には、南朝の北畠顕家が後醍醐天皇の皇子義良親王(後の後村上天皇)を奉じ、霊山を中心に陸奥の国府を多賀城から移し、一時的ではありましたがここに王城を築きました。

 伊達氏は、鎌倉・室町時代を通じて伊達郡を拠点に奥州に勢力を広げ、1523(大永3)年に14代稙宗は陸奥国守護に任命され、奥州随一の勢力を築きました。

 1548(天文17)年、独眼竜の異名で知られる17代政宗の祖父15代晴宗が、本拠地を米沢城(山形県米沢市)に移すまでの360年間、梁川城、西山城(伊達郡桑折町)に拠って信夫郡・伊達郡を治めていました。

 戦国時代の末期、豊臣秀吉による奥州仕置後、伊達郡は蒲生氏郷を経て、1598(慶長3)年からは、上杉景勝の支配するところとなりましたが、徳川幕藩体制に入り明治に至るまでの約300年間は領主の交替が激しく、幕府の直轄地(天領)、大名領に分割統治されてきました。

 1869(明治2)年、信夫・伊達・安達の三郡を併合して福島県が成立、その後の廃藩置県により福島(現福島市)に県庁が置かれ、現在の福島市、伊達市の発展の基礎となりました。

 1671(寛文11)年頃、御城米を江戸まで運ぶために発達した阿武隈川の舟運(東廻り航路)は、江戸中期には蚕種・生糸・織物の輸送にも活用されるようになって商業の繁栄をみてきました。

 伊達市においては、1889(明治22)年の「町村制」実施による合併、戦後の1953(昭和28)年の「町村合併促進法」の公布施行に伴う合併の推進によりその市域を拡大した福島市とともに、養蚕業を核に商工農林業の発達をみました。

伊達市の昔と今バナー

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